ただ単に応援するということ

人は強欲だなと思う。

ライブに行きたい

行けたら良い席がいい

ファンサもらいたい

落下物欲しい

全てが手に入るわけじゃないのに、叶わなければ不満に思う。

 


アイドルは1を提示しても、ファンや世間から思いもかけない2.3が飛んでくる。

しかも、好意的ではないものもある。

多くは批判が大きな顔をしている。

 


アイドルはファンに夢を見させる。

ファンは夢だということをよく忘れる。

 


アイドルも人間である。

ファンはアイドルが人間だとよく忘れる。

 

 

 

ファンはアイドルを自分の人生に組み込み、応援を多角化させていく。

 


人生に介入しているのだから、希望が許されると錯覚する。

ごくたまに、それは叶う。

そして認識を誤り、叶わないことがおかしいと思う。

 


アイドルという1人の人間が、生身の人間の幾多の人生を背負うことは到底無理な話である。

いちファン、いち個人は時にそれを忘れる。

 


芸能人だからこれくらいは普通だと価値観を押し付けたり。

同担のファン同士で対立、

同じグループ内の他担のファン同士で対立、

違うグループ同士なら尚更である。

 


人間は生まれた時から平等ではない。

けれど、アイドルたちなら平等にできるでしょう?とまるで神のように捉えてしまうことがある。

個人の時間とお金と愛を使っているから。重く言えば人生を賭けているから。

私自身、ライブの当落などではどうしても思ってしまう。平等なんてないのに。

人間だから、こう言う感情が仕方のないことと言って仕舞えばそれまでだ。

聖人でない限り。

そして私は聖人ではなかった。

 


また、率先して叩きたい輩もいるが、人間いくばくか良心が残っていれば、推しに対して不平不満のような意見を持ちたくないのは至極当たり前である。

 


要するに自意識過剰なのではないか。

私はこれだけのお金や時間や愛を注いでいるのだから、報われて欲しいと思う気持ちが感情の暴走に拍車をかけるのではないか。

アイドルに清廉潔白しか許されないのであれば、それを押し付ける自分自身はどうなのか。

 


所詮はアイドルはビジネス。

自分の心を守るためにも、健全に推すためにも、忘れてはいけないことだろう。

しかし、想像以上の供給にしばし忘れそうになる。

いっときは忘れても構わないと、誰かに許しを請いたくなる。

 

 

 

例えば低い位置に貼られたロープの上に立ち、ゆらゆらと揺れているのが自分だとしたら、

アイドルは一体どこにいるのだろう。

隣にはいない。

下にもいない。

なら上??

そもそも、視界にさえ入らぬ場所かもしれない。

 


ここまで勢いで書き連ねて、

結局誰も見る必要はなかったのだ、と私はすとんと心に落ちた。

他のファンは関係ない。

推しも関係ない。

ただ私が好きで見ているだけ。

私はロープの上で揺れてはいない。

ただ今は、暖房の効いた部屋でこうして文を書き連ねている。

 

 

 

推しへ

いつもありがとう。これからも勝手に見て、勝手に幸せを受け取ります。

それだけで幸せなんだと、忘れないようにしたいです。

 

 

 

 

 

 

晦日の生配信を見て、つらつらと書いてしまいました。

要するにSnowManが好きという意味なのですが、うまく伝えようとして書いたわけでもありません。

推すことがしんどくなっていたわけでもありません。

ただ、もやもやとしていたものを言葉にしてどうにか年内に区切りをつけたかった。

 


本人たちの口から言葉が聞けてとてもスッキリしました。

これからも自分のペースで推していくぞ!!

推し活に正解なんてないんだー!!